2013年1月30日水曜日

とりあえず一段落

明日の退院が確定しました。

看護婦さんが日に3度、回診に来るのですが、
痛み止の使用をしたかどうか、必ず聞いてきます。

笑ったり咳したり、もちろん触ったりしなければ、全く痛くないので

聞かれる度に、いいえ と答えるのですが

皆さん一様に「ええーーーーっ!」

芝居にしてはオーバーなリアクションです。

今日の午後、主治医診察を受け、術後の経過は順調、

あとは病理検査の結果が出た頃に外来受診で

今後の治療計画を立てていくのだそうです。

リンパ残したこともあり、多分、抗がん剤治療を勧められそうで

体は楽になったけど、今一つ、晴れ晴れとした気分にはなれません。

なーんて言ってると、カツを入れられますね (#`皿´)

まだ決まってもいない先のことを思い悩むなんて意味無し!

ところで、痛みの原因は癌細胞の浸潤によるものではなく

子宮内膜症によるものだったそうです。

今は、すっかり良くなりましたが

あの痛みがなければ手術のことも考えなかったわけで。

あれほど酷いと、命に関わらないものでも、

臓器の摘出という一大決心をすんなり、してしまうものですね。

ちなみに、この病院で行われている同様の手術は、年間200回以上だそうです。

写真は、食事ができるようになって毎日欠かさず飲んでいるお茶。

3人組ドクターの中で一番若い先生に

「これ、何年飲んでるんですか?」

と聞かれ、気のきいた返事ができず

「売れるようにネーミングしたんでしょ。どのくらい飲めば美人になるってもんでもないでしょー。」

さっきの続き

なるほどーの後が、ゴチャゴチャなので、書き直します。

両親ともスモーカーだったので、

こどもの頃からタバコ臭には慣れていたのですが、

幼稚園の時に親の目を盗んで真似をしてみたら思いっきりむせて

それ以来、なんであんなものがいいんだか理解不能。

大人になって禁煙空間が選べる社会の到来。

当然、いつも禁煙席を選んでます。

断食効果で研ぎ澄まされた五感が

私にとってタバコ臭のあるところは危険!と教えてくれてるようで、

いつも以上に敏感に強く不快感を与えられてます。

そこで海外出張から、まさに帰国便に乗ろうとしていた夫へラインで

帰国前に禁煙して、とリクエスト。

明日は奇しくも退院日。

1月31日、世間では1をiと読ませて「愛妻の日」にしたとか。

これで禁煙できなかったら、もう別居してしまおう。

写真は、今朝お腹から抜いて頂いた物。

研ぎ澄まされた五感

昨日の今頃は、朝のうちにシャワーも済ませ

院内を歩き回ってました。

まだ歩幅も狭く姿勢もカッコ悪く、ソロリソロリですが

それでも、途中で気分が悪くて座り込むこともなく

足を暖めるユタポンをレンジでチンしに行ったり。

電子レンジはどこかというと、

入院患者の配膳された食事と見舞い客のお弁当を持って行って食べる

デイルームという部屋にあります。

以前、急患で入院した時も利用したことがありましたが

手術後初めて行って、気づいたことが一つ。

タバコ臭いんです。

もちろん病院の敷地内全域、完全な禁煙ゾーン。

なんで?

まあ、どこにでもルールを守らない人はいるものよね。

でも辺りを見回しても、煙たい所はありません。

なのに、ついさっきまで誰かここでタバコ吸ってたような臭い。

たまたま居合わせた入院患者さんに

「なんかタバコ臭くないですか?」

聞いてみたら、

「そうなんです。お見舞いに来られた方の車が禁煙じゃないと、

結構、ご本人は気づかなくても臭いが染み着いてて

エレベーターの扉開いただけで凄いときありますよ。」

なるほどー。

実は両親とも喫煙者だったので手術の前後、禁止されたり食欲不振だったりで
実質、丸三日、断食しておりました。

体質改善プログラムなどで、管理者のサポート付き断食を経験した人から

「終わった後ってねえ、全てが以前よりずっと輝いて見えるの。
 音の聞こえ方も違うし、何て言うか、五感が研ぎ澄まされてる感じ。」

2013年1月29日火曜日

余計な一言

私の発した安易な一言で、女神様に可哀想なことをしてしまいました。

昨日、来てくれた娘が、帰り際に

「明日は一度、こども達を家に置いて、自分の弁当持って来るから」

と言ってたのですが、何せチビ二人、
いつどんな状況になるかわかりません。

「これ読んでみて」と置いていった漫画
「ママはテンパリスト」を読みながら
あまり期待しないでヒマツブシ。

これがまた、メチャクチャ笑える育児漫画で、
術後のお腹には過酷な刺激物でしたが
あっと言う間に3冊、読了。

そろそろかな~と思っていたら
娘の到着前に夕食が配膳されてしまいました。
珍しく、どのお皿も出来立てアツアツ、
いい匂いがして、
すぐに食べないともったいない感じ。

と、その時。

ラインで「もうすぐ出る。何か欲しいものない?」

さあ、ここで皆さんに質問です。

私は何と答えたでしょう?

多分、大多数の方は
「何も。気をつけて来てね。」
で、済ませるでしょうねー。

私ときたら、愚かにも

「何も。ちょうど今、配膳されたー。冷めないうちに来れるかな?」

などと返事してしまったのです。

その直後に、「しまった!」と、思いっきり後悔しました。

いくら近いと言っても道路状況次第。
慌てて事故にでも逢ったら大変!
もう、心配で、心配で。

約15分後、再びラインで

「弁当忘れたっぽい。」

(´・c_・`)

「今どこ?無理しないでいいよ。」

「もう着いてる。」

あーよかった。

間もなく部屋に入って来た娘は
うつ向き加減で足取りも重く。

自分の弁当がないことよりも

「とっても美味しい旬のちぢみほうれん草がたくさんあって、
食べて欲しくて、せっかく作ったのに」

と悔やんでました。

ゴメン、慌てさせたばかりに。

さて、食事、どうしようね。

なーんにも心配いりませんでした。

大量にあった娘の差し入れから
レトルトを二つ選んで、おかず半分こして。

運良く、今夜の献立は

カボチャの煮物
エビしんじょの高野豆腐ばさみ
鮭御飯
いんげんと人参の胡麻合え

私も娘も抵抗無く食べられる物ばかり。

冷めても電子レンジで温め直せばいいんだし。

貸してもらった漫画の感想など話しながら
無事、食事ができました(^.^)

食欲、出てきました。

手術後、最初に飲む水が、とても美味しいと聞いたことがありましたが
普段、八ヶ岳の湧水、井戸水を飲み慣れてるからか、
その感動は味わえず。

では、最初に口にした重湯が極上の感触だったのか、と言うと、そうでもなく。

どんだけグルメなんだろー。

何が一番美味しかったかと言えば

あずき茶、そして玄米あずき粥。

世間一般で言うグルメとは、程遠いですね( ̄∇ ̄*)ゞ

娘から「何か欲しいものあったらラインで送っておいて」

と言われても、動いてないし、気持ち悪かったりして
食べたい物が思い付かなかったんですが
娘がお産で入院中に私が差し入れした物を思い出したみたいで
ちょこちょこ持ってきてくれました。

甲府市内の自然食品店「有機村」に
仕事帰り、自分の買い物ついでに寄ってくるのが楽しみでもあるようです。

でも、これだけ全部を入院中に食べるの、絶対無理 (・_・)

2013年1月28日月曜日

トイレの話(XXX-rated)

後から思えば笑い話なんですけどね。

手術後初のお通じは、娘を出産した時よりしんどかったです。

若いって、希望を持って臨めるって
ホントに素晴らしいことですね。

実際に消耗した体力と、かかった時間は
多分、お産の方が大だったはず。

あれ、時間は、同じくらいだったかも。

確か、1時間弱。

聞いてみたいんですけど。
もし他にそういう経験ある人いたら。

もちろん洋式で、足は楽ですが
あの、股を広げて腰掛ける姿勢を1時間続けてみたことありますか?

けっこう、股関節、太ももの骨に響くんです。

力んで傷口が開くことはないそうですが、やはり痛むので、力みが不十分。

なので、なるべく自然の力を利用していきたいのですが
私の場合、ちょっと他の人にはない問題がありました。

インクレミンシロップってご存じですか?

貧血のこどもに処方されるお薬です。

大人が服用することはあまりないようですね。

手術前、痛みと同時に大量出血が続き、
このままでは危険なので、
手術のために貧血の治療をしましょうと、
最初は錠剤を処方されました。

これがまた、消化器を荒らすので下痢してしまい、
鉄分は補えても水分や、他の栄養が不足するので、
それでは、こどもでも飲めるものをと処方されたのでした。

なのに!

滅多に起きないと言われる副作用:便秘が発生。

手術前から絶食期間は、当然、飲み薬もなかったので関係ありませんでしたが
食事の再開と同時にインクレミンシロップも再開。

手術済んだし輸血も不要だったから
もういいでしょ、と言ったのに
術後の血液検査の結果、まだ貧血が残っているので、続けて下さい、と。

で、食事スタートと同時に再開。

お腹の音はゴロゴロ聞こえるし、
腸は元気になってきていたので
後は時間の問題だなー、と楽しみにしておりました。

ここで大部屋(と言っても4人)の問題が。・゜゜(ノД`)

便意を催しベッドを離れると、トイレに近い人が先に取っ手に手をかけているではありませんか。

仕方なくベッドへ戻ると直に便意は収まりました。

次なるチャンスが来た時、今度は明らかに使用中。

廊下へ出て、一般、お見舞いの方も利用するトイレへ向かうも、またしても便意消失。

やっと、あまり本格的でもなかったけど、11時頃に気配が。

これを逃すと昼食前になって同室の方に不快な思いをさせてしまいそう。

よし、今なら!

と入ったわけですが、、、
結果は冒頭に書いた通り(T_T)

しかも、私があまりに長いので
次に入りたかった車椅子のおばあちゃんが
ドアに鍵かかって外から中の明かりも見えて使用中とわかるのに

ドンドンドンドン!
と大きなノックしながら

「中で遊んでるだかぁ?」

怒られてしまいました(´・c_・`)

日中は使いたくないナースコールを
しかも、トイレから、使わせていただきました。

「あの、私は大丈夫なんですが、外で待ってる方を他へお連れしていただきたいんです。」

暇だったのか、緊急性を理解してくださったか、5秒で看護婦さんが来ました。

これで一息ついて、さらに30分はその場に。

変な話、まだ便意が残っているうちは、トイレを出てもすぐまた戻るのがわかってるから、
当たり前ですが、
きりのいいところまで出しちゃいたいじゃないですか。

でも体力が続かず、足元の冷えもあり、あと、これ、一番の理由です、
食事の時間が気になり、中座。

ところが、ベッドに戻ると5分も経たないうちに、またしても、今度は半端じゃない便意が。。(〃_ _)σ∥

結局、最も避けたかった、皆さんのランチタイムにかかってしまいました。

入院治療計画書にある目標は、クリアしたわけで
担当医師はニコニコして、良かったねーと言ってくれましたが
トイレで悶え苦しみながら
私はなんでこんなことしてなきゃならないのー!!
と、情けないやら悲しいやら。

もう皆さんに迷惑かけたくないし
行きたい時にすぐトイレへ行きたいので
今夜からまた個室に入ったわけです。

31日の午前中退院。
あと三泊、贅沢させてもらいます。

白衣のデビル(YYY-rated)

全く投稿ができなかった間、
具体的には25日の夜から26日の夜まで
一体どうしていたかと言うとですね、
白衣のデビルにうなされてたんです。

白衣の天使はいても、デビルって、

聞いたことないでしょう?

私も初めてお目にかかりましたよ。

驚きました。

手術後すぐに本麻酔は切れますが
傷口の皮膚が再生するまでの48時間、
術後の痛みを緩和する麻酔を背中に通してありましたが
それでも辛い時は我慢しないで支援を求めていいのが今の医療だそうです。

25日の晩に、少し痛みが強くなってきたので
眠れなくならないうちにとナースコール。

病院で処方された、自分で使える痛み止めの座薬は持参してナースステーションに預けてあったので
それを持って来てもらえればと話をしたら、

「飲み薬になります。」

座薬より強い飲み薬を
ろくに食事もしてない胃に?

麻酔薬や他の何かとの兼ね合いで仕方ないなら、そうと説明があっても良さそうなもの。

でも夜勤の看護婦さんが忙しいのもわかる。

「そうですか」と薬の到着を待つ間に
思い出したのは、
その日の夜勤担当の看護婦さんは、必ず一人一人のベッドを回って自己紹介を
夕方5時頃には済ませていたこと。

彼女に挨拶されたっけ?

まあ、いいか、忙しいから忘れてるのね。

さて到着した看護婦さんがテーブルに薬を置いて

「説明します。」

と言ったきり、顔をこちらへ向けもしない。

私の知る白衣の天使は、
横になっている患者と話しをするとき
患者の目線と自分の目線を近づけて
説明するものがあれば、それも
顔に近いところへ持って来てくれた。

沈黙の時間。

「起きなきゃいけませんか?」

と聞くと、すかさず

「薬、飲むんですよね。当たり前じゃないですか。」

\(゜o゜;)/

その時の顔つきは、まさしく白衣のデビル!

でも、彼女もあちこちで呼ばれて
てんてこ舞いなのよね…

ところが忙しいはずの彼女の口から
余計な言葉がポンポン飛び出してきた!

手術後2日目の痛みに耐えている患者に
今、言わなくちゃいけないこととは、到底思えない。

しかも冷淡極まりない表情、口調で。

それをここに羅列しても仕方ないので止めておこう。

27日の私の不調は、
麻酔の副作用プラスこれかも。

2013年1月27日日曜日

ヘンプとフラワーエッセンス(YY-rated)

待望の荷物が届きました\(^o^)/

まずは、手作り梅干し。

写真撮ってませんが、ちゃんとあります。
明日の朝御飯以降、頂く予定。(#^.^#)

病院の食事が味気ないから
(失礼!でもホント)

だけではなく、

代表的な日本の伝統食で

体を元気にしてくれる保存食だから。

そして、Braintreeのヘンプショール。

電磁波カットその他、癒しのパワーが備わってます。

最後にYarrow Environmental Solution。
米国F.E.S. のフラワーエッセンス。

口の中や自分のオーラに向かってスプレーします。

極度のストレスの前後や、電磁波、放射線治療の際に

エーテル体を守り免疫力をアップさせる効果があります。

早速、ショールを枕に巻いて、
スプレーを使ったら
昨日と同じ部屋にいるとは思えない快適さ!

何が一番違うかと言うと
麻酔の副作用と言われる頭痛と嘔吐、それに伴う背中の辛さが

そうですねー、

使い始める前を10とすると4時間後の今、1です。

お陰で食欲も出て、こんな時間にお腹がグーグー( ̄∇ ̄*)ゞ

これ、すごくないですか?

こんな三つのコンビネーションを一ヶ所からお取り寄せできるお店、
そうそうないと思いますが(*^^*)

小海線甲斐大泉駅北のオーガニックカフェごぱんさんに送っていただきました。

オーナーの小山さんは、今の店舗を構える前からご縁があり
苦しいとき、いつも駆け込み寺のように利用させていただいてます。

今回も、顕在意識が忘れていたけど
潜在意識がはっきり覚えていた欲しいものを
見事にセレクトしてくれました。

まだ足を運ばれたことのない方、
何かあったら自然治癒力を高めたい
未然に予防したい方は
是非、一度寄ってみてください。

お薦めです。




2013年1月25日金曜日

本当にありがとうございました

先程の投稿の未完成部分は、
一番大事な皆様への感謝。

応援していただけたから
祈りが通じたお陰で
こうして、やすらぎの中にいられるのです。

本当にありがとうございました。

今だから言えますが
手術まで、入院してからも、ずっと
激しい痛みが間断なく続き
もうこれは、相当進行しているのでは
と予想してました。

MRIの所見では、転移、癒着は見られないとのことでしたが
それからすでに1か月経ち
その間にも痛みの程度、間隔が狭まる一方。

9年前、佐久の病院で、まだ新人っぽい女医さんから

「がんの悪化って、グラフで言うと正比例じゃないんですよ。細胞分裂の勢いなので、時間軸を横に、症状の出方を縦にすると、↑へ急カーブする放物線なんですよ。」

と言われたことが思い出されて
もう、ダメ、これ以上苦しみが続くなら
死んだ方がマシ!

そう思うこともしばしばでした。

今、こうして再び空を見上げられるのも
全て、皆さまのお陰です。

本当にありがとうございました。

( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆

祈りの力とプロの仕事

手術後、初めての主治医による回診。
(だと思う。ずっと寝てたからわからないけど)

手術翌日の午前7:40でした。
早い!

「気分はどうですか?」

「お陰様でとてもよく眠れました。」

「それはよかったですね。」

ん? まるでホテルのスタッフと客の会話。

で終わりなはずはなく、

「周囲への転移もリンパ節の肥大も見られなかったので、リンパは残しましたからね。」

10年前にすぐとってしまえば
わかっていたのに…なんちゃらかんちゃら
俗人の私が医師の立場なら、言いそうなことを
余計な話は一切せずに

「じゃあ、また後で様子を見に来ますからね。」

と、穏やかに微笑むだけ。

「本当にどうもありがとうございました。」

軽く会釈をして、静かにドアを閉めて出て行かれました。

その直後、再びノックの音がしさまやなて、今度は麻酔科の先生が

「今の体調はいかがですか?」

「お陰様で痛みは全く感じなくて
昨日手術したとは思えないです。
夜、喉が乾燥して咳した時、少し響いた程度で。」

「吐き気とか頭痛はありませんか?」

「ありません、あ、そういえば、体幹部分の皮膚が少し痒い。

「あー、そうですか。でも徐々に引いていきますよ、安心して下さいね。初めて起き上がったり立ったりした時に、頭痛や吐き気があると思うので、それだけ気をつけてて下さいね。」

「本当にどうもありがとうございました」

手術って、もちろん執刀医が一番責任大きいと思うんだけど
麻酔科の先生の技術的な責任も、同等か
それ以上ではないかと。

今回、というか、今や常識なのかな、
術後の痛みも継続的に緩和してくれる点滴を
手術前の意識があるうちに、脊椎から管を通して注入するんです。

失敗したら、先々、痛みや下半身不随なんて事態もあるわけで。

その瞬間が、実は、一番怖かったのですが
事前の部分麻酔が上手く効いたのもあり
管の動く感触は、はっきりわかるのに
痛みは皆無でした。

「じゃあ、これから眠る注射しますよー。」

その声を聞いた後、暫くして肩をとんとん叩きながら私を呼ぶ声が。

「和田さん、和田さん、目開けられますか?」

麻酔の効き具合を確認しているのかと思ったら、

「無事、終わりましたよー。」

(゜〇゜;)????

五分くらいしか経ってない気がしました。

音は聞こえてるのに、
目が開けられず、話しも出来ず。

意識がはっきりしてきたと思ったら、
喉の痛みと呼吸ができない苦しさで
ちょっとパニック。

だから酸素を喉の奥まで入れるのね。




2013年1月24日木曜日

自然療法との出会い

2012年5月に告知を受けた日のことでした。

以前からお茶する約束をしてた友達のところへ遊びに行ったら
そのまた友達が八ヶ岳へ引っ越して来たばかりで食事会をするから一緒に行こうと出かけることに。

行ってみたら、今で言う女子会。

一人、失恋したての子(と言っても30代?)がいて
みんなで応援しても、本人はひたすら落ち込み自己否定。

そこで、つい、一人以外は皆、初対面にも関わらず
私なんか今日、癌告知されてきたんだから、と切り出して

健康でさえあれば、まだまだいくらでも
やりたいことできるでしょ

と話題の方向転換を試みたら

そこに居合わせた年配の方が満面の笑顔で

「まあ!私は、今日、あなたに会うためにここへ来たようなものね!この携帯で、今すぐ電話しなさい」

何が何だかわからないうちに渡された携帯電話を耳に当てると、
もう相手の方が電話口に。

「は、初めまして」

「どうしました?」

「え~、実は、かくかく然々…」

「わかりました、じゃ今すぐ始められる簡単なことお伝えします。好きな食べ物は何ですか?」

「え~と、、、」

テーブルの上に用意されていた香り高いコーヒーと美味しそうな焼き菓子が目に入り

「甘いものとコーヒーと、、、」

「それ、両方とも今すぐ食べるの止めてください!」

「(;_;)/~~~」

横浜で民間療法を広めるクリニックを開設されている方でした。

携帯電話を貸して下さった方とは
なんと、その日の前日、
京都で開かれた何やら怪しげな
月見をしながら瞑想するワークショップで出会って、お互いの連絡先を交換した直後だったのだそうです。

つい最近、自ら肺癌を克服した経験もおありで、
人に指導するには身をもって恐怖や傷みを体験する必要があったんです、とおっしゃっていました。

その方のお陰で
川竹文夫代表のNPO法人がんの患者学研究所や
逸見正孝アナの主治医を交えてスタートしたキャンサーサポート21にも入会し

その日から最初の3年間は
マクロビ、ヨガ、気功、ドルフィンスイム
こんにゃく湿布にびわ温灸
大根干葉の腰湯、ヨモギの煙の活性器
などなど
自然療法三昧の日々を続けていたのでした。

2013年1月23日水曜日

A room with a view

11月に救急車で担ぎ込まれた時、
病室の広さ、清潔さ、使い勝手の良さに感心したわけですが
山が見える部屋だったら尚いいのになー
と、思ってました。

今回は、大当たりd=(^o^)=b

夜は、このような夜景が
昼は、富士と南アが見渡せるのです。

こんな素晴らしい眺めを楽しみながら
今夜の夕飯は流動食(´・ω・`)

歯磨きコップのようなプラスチックマグに、
うすーい糊のような重湯、
コンソメだかお吸い物だかわからない謎の汁物、
コーンスープもどき。

デザートには、香料、着色料たっぷりのゼリーが二つも(@_@;)

我慢、我慢。

あっ、
感謝、感謝。

チェックインしました♪

お腹が苦しいです。
痛みのせいではなく、満腹過ぎて。
午後3時食べ納めと言うので
しっかりお昼食べた後、さらに
ティールームで軽食とおやつをいただいてしまいました(^^;
写真は、入院して最初の、そして手術前最後の昼食。
味付け、さほど薄味にも感じなかったのは、
昨日まで三泊させてもらった娘の家の食事のお陰かしら。
そして、さっきまで記入していた提出書類いろいろ。
インフォームド・コンセントって、手術と別に麻酔についても、あるんですね。
もう一枚の写真が、そうなんですが、
手術することに同意して
麻酔することに同意しません
って人、いるんでしょうか?

幼い日の記憶 (XX-rated)

何故あんなことを
まだ恋愛経験もない私に
母は話したのだろうか。

アパートからマンションへ引っ越して暫くたった頃だから
多分、中学生の時だと思う。

アパート時代の御近所の奥さんが
子宮がんで手術を受け
術後の傷は癒えたものの
女性器を無くした体を「化け物」と言われたそうだ。

どんなシチュエーションで発せられたことばなのか、
元々、そのご夫婦が不仲だったのかなど
詳しい話は聞いていない。

もしくは、聞いたのに、忘れてしまったかもしれない。

そのご夫婦の会話を直に聞いたわけでもないので
ひょっとしたら、作り話かもしれない。

でも、病で体の一部を失った女性に
「化け物」という言葉が浴びせられた
ということだけが
鮮明に記憶に残っている。

2013年1月22日火曜日

娘は女神さま

親馬鹿でスミマセン。

でも、心からそう思っています。



Facebookでも書きましたが、

ダンナの出張と私の入院がほぼ同じ時期に重なっているので

20日のうちに娘の家へ移動し

23日、つまり明日の入院当日は、娘の家から病院へ送ってもらい

手術の立会も、娘に仕事を休んでもらうのです。



新築して3年目の娘の家には

将来、二人の子が一部屋ずつ使うことになる空き部屋があり

いつもは、その一つに泊らせてもらうんです。


今回もそのつもりでいました。

というか、今回こそ、そうしてもらわないと、と思っていました。


それというのも

この1か月間というもの、特に夜になると痛みの発作がひどく

一度激しくなると薬で緩和されるまで

長い時は2時間ほど眠れず、ウンウン唸ってしまうんです。


だから、みんなを起してしまっては申し訳ないと思って。


ところが、20日に到着したら

いつも親子4人で川の字 (4人じゃ川って言わない?)

になって寝ている自分たちの部屋に、私用の布団も敷いてありました。



「入院したら、しばらくずっと一人でしょ。

だから、ここにいる間くらい、みんなと一緒に寝てよ。」


上の子はもう4歳になりましたが

下の子は、まだおっぱいを欲しがり夜泣きもする赤ちゃん。


普通なら、私がいる時くらい楽をさせてあげたい状況なのに、

どうせ、普段もちょこちょこ起きてるし

上の子は爆睡するから、何やっても起きないから大丈夫、と言ってききませんでした。


今日で2泊しましたが、夜中に最低3回は下の子のために起きていて、

その度に、私の容体を気にして、


「何かやって欲しいことがあったら言ってよ」


本当に、頭が下がります。


そして、そんな娘に勝るとも劣らず、

食事の下ごしらえから、お風呂掃除まで、

家事をしっかり分担して居心地の良い家を保ってくれる娘婿さん。


ここは天国です。







祖母も伯母も母も (X-rated) ← ちょっと意味違うけど

みんな子宮に疾患がありました。


母は40代後半、子宮がんで国立がんセンターにて手術、放射線治療を受けましたが

5年後、医師の完治宣言とはうらはらに、いつも辛そうな表情を見せていました。


布団の上げ下ろし、自転車での買い物など、

体を動かすことが大好きで全く苦にしたことのない母だけに

してはだめ、しなくていい、と言われても気持ちで乗り切ろうとして

体に異常を来してしまう現実を受け止めるのは、本当に難しかったと思います。


放射線治療の影響で白血球数が正常値に戻ることはなく

急性肺炎による入退院を繰り返した後

病院であっけなく他界した母。



結婚してから手術を受けるまでの年数と

手術を受けた後、他界するまでの年数は、ほとんど同じ。



やりたいことができず、辛さに耐える時間の方が長い生活の中で

私の娘、初孫の誕生と成長が、何よりの喜びだったようです。

2013年1月21日月曜日

あれ、ゴメンナサイ!

読む前にラベルをご確認くださいって言ったって、
どこに出てるのよねぇ。

パソコンで設定したのをスマホで表示したら、
ラベルなんてどこにも見当たらないのですね。

失礼しました!!

タイトルに付けるようにします。

2013年1月20日日曜日

ようこそ

訪問ありがとうございます♪
 
 
そしてブログのスタートを後押しして下さった皆様、

心から感謝します、ありがとうございました。
 
 
ブログのスタンスを考えながら背景選びをしていたら
 
病院の手術もエステのマッサージと同じ、
 
専門家に体のメンテナンスをお任せして、自分はゆっくり休むんだ
 
そう思うことにして、ずいぶん気が楽になりました。
 
 
今から手術をドタキャンすることは、もう考えていません。
 
 

ベテラン医師の執刀と、優しいナースの介護、
 
手術室や回復室で体につながれる管など
 
今まで不自然極まりなく感じていたものを信頼して身を委ねようと決めたら
 
そういったもの全てが、
 
変容をとげるカイコを包む繭に思えてきました。
 
 
私はこれから居心地のよい繭にくるまれて
 
眠りの時、飛翔の準備に入ります。
 
 
 
繭から出るのは退院の時
 
ではなくて
 
社会に出て普通の暮らしができるようになる時、かなあ。
 
 
体を脱いで三次元の束縛から解き放たれる時かもしれない。
 
 
いずれにしても
 
変容を遂げて新たな旅路を踏み出す瞬間であることに間違いありません。
 
 
 
繭の中で、ひたすら眠り続けるように見えるカイコですが
 
絶えず変化のプロセスは続いていて
 
無意識の世界で、めくるめく創造のうねりを体現しているはず。
 
 
 
目に見える外の世界での活動に参加できない間、
 
感じること、伝えるべきこと、表現したいと思うこと
 
ここに綴っていこうと思います。
 
 
 
読者の皆様へ。
 
新しい投稿をお読みになる前に、ラベルをご確認いただけるといいかな、と思います。
 
 
なんだかんだ言っても、早い話が癌患者の闘病日記なわけで
 
しかも婦人科特有の子宮癌ですから
 
人によっては知りたくない情報や、ナンセンスなお話もあると思うのです。
 
 
出来事、事実をお伝えするものはX、
 
私個人の見解や誰かの思考をお伝えするものはY、

それぞれ、個数の多さで読後感への影響を表すことにしました。
 
 
あくまでも私個人の想定する基準になりますが
 
Xは、ちょっとショック、
 
XXは、かなり衝撃的、
 
XXXなら食事前や直後には読まない方がいい、くらいの目安です。
 
 
例えば薬とか、食事とか、分かりやすいカテゴリーにしようかとも思いましたが、
 
他のブログで既にたくさん紹介されているので、今さら、と思いまして。
 
 
その他、無印は家族のことなど、日々の雑感になります。
 
 
でも読者の皆様から、何かリクエストがあれば、お応えしようかとも考えています。
 
 

それでは、繭の中にいる暫くの間、よろしくお付き合いくださいね。